小松左京監修 瀬名秀明編著
何よりも、5名のSF作品など、一気に読む機会がないから、それが貴重。
岡ノ谷氏
「声」の獲得。呼吸の随意性。
言われてみれば納得。
2008年9月23日火曜日
2008年9月18日木曜日
ドロン・ウェーバーの仕事
スローン財団の科学技術講習理解プログラムディレクター。
政策研の講演録160.
16ページ 自ら脚本を書いている ・・・・
「ハリウッド関係者や演劇関係者に私が話すときは、決して「教育」という言葉は使いません。教育というのは、アーティストにとってはプロパガンダとか宣伝として受け取られます。ですから私は、「エンターテインメント」という言葉を使っています。」 30ページ
政策研の講演録160.
16ページ 自ら脚本を書いている ・・・・
「ハリウッド関係者や演劇関係者に私が話すときは、決して「教育」という言葉は使いません。教育というのは、アーティストにとってはプロパガンダとか宣伝として受け取られます。ですから私は、「エンターテインメント」という言葉を使っています。」 30ページ
2008年9月15日月曜日
「脳の中の倫理」
ガザニガ。
p206 ポール・マクヒュー 大統領生命倫理評議会 カトリック教徒
医療目的のクローン胚は胚ではない。ザイゴートではなく、クローノート。
New England Journal of Medicine351, 209-211. 2004
Zygote and 'Clonote' : The Ethical Use of Embryonic Stem Cells
側頭葉てんかん p215-
ゲシュビント症候群
ゴッホ、ドストエフスキー、PKディック、ルイス・キャロル、フローベール、スウィフト、・・・サウル>パウロ、
「違うのは私たちの行動ではなく、なぜそういう行動をとったかを説明する理屈の部分にすぎない。人間の対立はすべてこの理屈の違いから生じていると理解すれば、異なる信仰体系のもとに生きる人どうしが共存していくうえで大いに役立つのではないだろうか。」p221.
p206 ポール・マクヒュー 大統領生命倫理評議会 カトリック教徒
医療目的のクローン胚は胚ではない。ザイゴートではなく、クローノート。
New England Journal of Medicine351, 209-211. 2004
Zygote and 'Clonote' : The Ethical Use of Embryonic Stem Cells
側頭葉てんかん p215-
ゲシュビント症候群
ゴッホ、ドストエフスキー、PKディック、ルイス・キャロル、フローベール、スウィフト、・・・サウル>パウロ、
「違うのは私たちの行動ではなく、なぜそういう行動をとったかを説明する理屈の部分にすぎない。人間の対立はすべてこの理屈の違いから生じていると理解すれば、異なる信仰体系のもとに生きる人どうしが共存していくうえで大いに役立つのではないだろうか。」p221.
2008年9月13日土曜日
学術と広報
国立天文台の2002-2005年にかけてのシンポの集録を一気に読む。
やはり先駆的だ。
なゐふる 地震学会の広報誌
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ssj/publications/NAIFURU/naifuru.html
メーリングリスト
http://www.mmjp.or.jp/zisin-nfml/
考古学の業界で、論文発表など、全く待つこともなく、遺跡から何かが出たら直ちに、記者発表ということは考えさせられる。45-63p 2004のもの(「学術の広報と報道に関するシンポジウム 集録」 2004.2.20 国立天文台)
やはり先駆的だ。
なゐふる 地震学会の広報誌
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ssj/publications/NAIFURU/naifuru.html
メーリングリスト
http://www.mmjp.or.jp/zisin-nfml/
考古学の業界で、論文発表など、全く待つこともなく、遺跡から何かが出たら直ちに、記者発表ということは考えさせられる。45-63p 2004のもの(「学術の広報と報道に関するシンポジウム 集録」 2004.2.20 国立天文台)
2008年9月11日木曜日
読書「脳の中の倫理」
「責任の有無を、脳神経科学者が脳のなかから見つけ出すことはけっしてないだろう。責任とは人が持つ属性であって、能が持つ属性ではないからだ。」 p.146
「今や、正常な人間までもが決定論から逃れられないかのようである。私たちは、個人の責任という概念を捨てるべきなのだろうか。私はそうは思わない。脳と、心と、人の区別をつける必要がある。人は自由であるから、自らの行為に責任を負う。脳には責任はない。」 p131
マイケル・S・ガザニガ
「今や、正常な人間までもが決定論から逃れられないかのようである。私たちは、個人の責任という概念を捨てるべきなのだろうか。私はそうは思わない。脳と、心と、人の区別をつける必要がある。人は自由であるから、自らの行為に責任を負う。脳には責任はない。」 p131
マイケル・S・ガザニガ
再読「総合研究開発機構 「生命科学における科学と社会の接点を考える―生命誌研究館(Biohistory Research Hall)の提案―」1989.
学術の異分野コミュニケーションの場として、総合雑誌が担ってきた役割についての記述もあり。
文春や公論の役割と、文化人科学者のくだりは面白い
文春や公論の役割と、文化人科学者のくだりは面白い
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