立ち上がってくるのは、いつも同じシーン。あるいは、同じこと。
やり直せるならば、やり直したい、と思うことが眼前に現れ、それに対して、答えがあるようで、ない。
記憶をたどり、そして、そうすることで生き直し、ときに傷を深める。
思い出を、人生という小川の底の美しい小石、といったのは、湯川秀樹だったか。
それは、でも、美しい、というだけの小石であることなんて、あるんだろうか。
たどり、繰り返すことで、そして、ゆがめ、何とか、納得させようとする。
なにを捕まえようとしていたのだろう。
ことば。君は、あのとき、こう言った、だから僕はこうしたんだ。
ことばは変わらない、だけど、真実なんて、むしろ、変わるものなんだ。
そばにいたい、と言いながら、なにがしたいの?と問いつづけられた。
なにがしたかったの?、に、いまなお、こたえがあるだろうか。あるいは、何かをなぞっている今に対しても。一番と思うことをできないつらさがあなたにはわからない、と言われたこと。
掛け続けた電話。つながらなかった電話。そこにある、ある、確かな崩壊の予感が、確信に変わっていくそのときの感情を思い出す。裏返しての、投影像に、過去と現在が交錯する。
荒削りな岩のかけらを、滑らかにし、小石にするのは、流れ。小川というに、時に激しく流転に満ちて。
たぶん、答えは時間、ともにつむぐものとして、願わくば、とおり過ぎず、そして、つむぎ、積み重ねる。
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