2009年7月24日金曜日

最近の本棚から

「戦争さえなければ戦争はわるくないと思う。少なくとも嘘はない。」
 文芸文庫「戦場の博物誌」開高健 「兵士の報酬」 p/30
 (「歩く影たち」で最初に読んだけど)

「日本人の世界観の歴史的な変遷は、多くの外来思想の浸透によってよりも、むしろ土着の世界観の執拗な持続と、そのために繰返された外来の体系の「日本化」によって特徴づけられる。」
「外来の世界観の代表的なものは、第一に大乗仏教とその哲学、第二に儒学、殊に朱子学、第三にキリスト教、第四にマルクス主義であった。 (中略) 以上の他にも注意すべき外来思想として、先には老荘があり、後には西欧一九世紀の科学思想があって、いずれも文学との関連において見すごすことができない。しかしそのいずれも、自然・人間・社会・歴史の全体を説明しようとする包括的な体系ではなかった。」
 日本文学の特徴について 「日本文学史序説」加藤周一 筑摩文庫版 34-35p

「外来思想の影響をうけない神道には理論がない。 (中略) その世界観の特徴をさしあたりようやくすれば、およそ次のようにいえるだろう。抽象的・理論的ではなく、具体的・実際的な思考への傾向、包括的な体系にではなく、個別的なものの特殊性に注目する習慣。そこには超越的な原理がない。カミは全く世界内存在であり、歴史的には神代がそのまま人代に連続する。しかもそのカミは無数にあって(八百よろずのカミ)、互に他を排除しない。当然、唯一の絶対者はありえない。いかなる原理も具体的で特殊な状況に超越しないから、超越的な原理との関連においてのみ定義されるところの普遍的な価値も成りたたない。」
 同p/37

「このような土着の世界観が、外来の、はるかに高度に組織され、知的に洗練された超越的世界観と出会ったときに、どういうことがおこったか。第一に、外来の世界観がそのまま受け入れられた場合があり、第二に、土着の世界観を足場としての拒絶反応があった。しかし第三に、多くの場合におこったことは、外来の思想の「日本化」である。 (中略) その「日本化」の方向は常に一定していた。抽象的・理論的な面の切り捨て、包括的な体系の解体とその実際的な特殊な領域への還元、超越的な原理の排除、したがってまた彼岸的な体系の此岸的な再解釈、体系の排他性の緩和。」
 同p38

「憶良は、同時代の他の歌人が詠わなかった題材―それはまた一九世紀末までその後の歌人もほとんど詠わなかった題材でもある―を、詠った。第一に、子供または妻子への愛着。
 (中略)
第二に、老年の悲惨。
 (中略)
第三に、貧窮のこと、飢えと寒さ、しかも税吏の苛酷さのそれに加わる光景。」
同108-109p

「外国文化の「挑戦」に応じて傑作を生んだ少数の知識人の文学は、憶良依頼日本文学の歴史を一貫して、一箇の系列をつくることになるだろう。その時代のなかで孤立した傑作の系列。」
同113p

  ここにならば、宮沢賢治を位置づけられるのかも知れない。

「宋代の中国には、「三教一致」説がしきりに行われたが、「会昌の破仏」は、少なくとも、いくつかの異なる思想体系が原則として排他的であり得るということ、また思想の排他性は思想外的状況の考慮によって常に必ずしも克服されえないものだということを示していた。そういうことが中国側にあったまさにその同じ時代に、奈良時代以来国家権力と融合していた日本仏教のなかに、殊にその妥協性によって特徴的な日本天台宗が興り、あらゆる外来および土着の思想・信仰を、それ自身の体系のなかに包みこんでゆこうとしていたのである。大陸では思想と思想との死闘があり得、日本ではあり得なかった。大陸では権力と思想との徹底した対立があり得、日本ではあり得なかった。この重大な、決して些事ではない対照は、在唐九年(838-47)、その最後の数年を、迫害のなかで異国に彷った日本天台僧の日記に、実に集中的にあらわれている。」
同133p

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